『物語 ウクライナの歴史 -ヨーロッパ最後の大国』黒川祐次〈第24回〉

黒川祐次『物語 ウクライナの歴史 -ヨーロッパ最後の大国』中央公論社、2002年

 この本は、1991年にウクライナが誕生して約10年後に著された本である。著者の黒川氏は元駐ウクライナ大使を務められている。
 スキタイの興亡から、キエフ・ルーシ公国の隆盛、コサックの活躍から1991年の新生ウクライナの誕生まで、この地をめぐる通史を知ることができる。


 第1章 スキタイ -騎馬と黄金の民族
 第2章 キエフ・ルーシ -ヨーロッパの大国
 第3章 リトアニア・ポーランドの時代
 第4章 コサックの栄光と挫折
 第5章 ロシア・オーストリア両帝国の支配
 第6章 中央ラーダ -つかの間の独立
 第7章 ソ連の時代
 第8章 三五〇年間待った独立

 ウクライナ史の最大のテーマは、「国がなかったこと」であると、ウクライナ史の権威オレスト・スブテルニーの言葉を黒川氏は紹介されている。
 多くの国において歴史の最大のテーマがネーション・ステート(民族国家)の獲得とその発展であるのに対し、ウクライナでは国家の枠組みなしで民族がいかに生き残ったかが歴史のメーン・テーマであったというのである。

 この本を読み終えて、そのことがよく理解できた。ロシアやその他の外国の支配下にありながらも、ウクライナはそのアイデンティティーを失わず、独自の言語、文化、習慣を育み、現代にいたっているのである。

 ロシアによるウクライナ侵攻の今の現状を理解するためには、第六章の中央ラーダ以降の内容の理解が必要となる。ちょうど、第一次世界大戦とロシア革命以降の歴史である。

 1991年8月24日、ウクライナは独立を宣言し、現在のウクライナが誕生する。20世紀になって6回目であったことをこの本を読んで初めて知った。ウクライナは、独立を目指し行動を起こすたびに、周辺の大国により抑え込まれ支配を受けてきたのである。長年にわたるウクライナの独立がようやく現実のものとなったのは、ソ連が崩壊した年であった。

 この本の中で黒川氏は、ウクライナの将来性について次の2点を指摘している。

1点目は、大国になる潜在力。
 国土の広さは、ロシアに次ぐヨーロッパ第2位、人口は5000万人でフランスに匹敵する。鉄鉱石はヨーロッパ最大規模の産地。農業については、世界の黒土地帯の30%を占める。(ヨーロッパの穀倉)耕地面積は、日本の全面積に匹敵し、農業国フランスの耕地面積の2倍。工業・科学技術面では、かつてはソ連最大の工業地帯であり、それを支える科学者・技術者の水準は高い。

2点目は、地政学的な重要性。
 ヨーロッパでウクライナほど幾多の民族が通ったところはない。ウクライナは西欧世界とロシア、アジアを結ぶ通路である。ウクライナがどうなるかによって東西のバランス・オブ・パワーが変わる。
 黒川氏は、フランスの作家ブノワ・メシャンの言葉を引用して、ウクライナはソ連(当時)にとってもヨーロッパにとっても「決定的に重要な地域のナンバー・ワン」だと言っている。

 この地域はソ連が思いもかけず崩壊して、いまだ安定した国際関係が十分出来上がっていない。(黒川氏執筆当時)
 今から約20年前の黒川氏の見解では、ウクライナが独立を維持して安定することが、ヨーロッパ、ひいては世界の平和と安定にとり重要であり、中・東欧の諸国にとってはまさに死活問題であると指摘されている。

 残念ながら、この地域における現在の情勢は、安定と平和ではなく、ロシアによるウクライナへの一方的な侵攻により戦争状態におちいり、世界は極めて不安定な状況にあるといえる。

 いまウクライナの人々は、自国がこれまで歩んできた歴史の上に立脚し、未来の子どもたちに自立した国を残すため、プーチン政権の不条理な戦争にひるむことなく立ち向かっている。そのためにこれまでの歴史で繰り返されてきたような多くの兵士や市民が犠牲になっている。

 ロシアはこの地域を最重要地域と位置付けており、いかなる犠牲を払ってでもウクライナをロシアの枠内にとどめておくとの固い決意があり、これまでも支配を行ってきた。

 この本を読んで、ウクライナの歴史やその周辺国との関係について理解を深めることはできた。しかし、今行われている戦争を終わらせるヒントを見出すことはできなかった。
 この戦争を終わらせる方法は、今を生きている我々一人一人が自分事として深く考え、今自分に出来る行動を起こし、戦争の終焉に向けてたゆまぬ努力を続ける以外に方法はないのかもしれない。

■本を読むことになったきっかけ
 ウクライナの歴史について知りたかったことと、どのような歴史的な出来事をとおして今のような現状になっているのか、その歴史について知りたいと思った。

■本の中で気になった言葉
 スキタイ、キエフ・ルーシ公国、コサック、小ロシア
 ペレヤスラフ協定、フメリニツキー、ヘトマン、クリミア戦争
 中央ラーダ(「ラーダ」は会議、評議会を意味するウクライナ語。=ロシア語の「ソヴィエト」に相当する言葉。)
 ウクライナ国民共和国(1918年)、ウクライナ国旗:青と黄の二色旗、ウクライナ国家:ヴェルビツキー作曲「ウクライナは滅びず」、ウクライナ国章:ヴォロディーミル聖公の「三叉の鉾」(さんさのほこ)(現在のウクライナの国旗、国歌、国章はいずれも1918年に中央ラーダが定めたものであり、現代のウクライナ国家は自らを中央ラーダの正当な後継者であると認識している。)
 グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(再建)(1985年ソ連共産党の書記長に就任したゴルバチョフの政策)
 1954年、クリミアがウクライナに移管(フルシチョフの時代、ロシアの宗主権を認めたペレヤスラフ協定締結300周年記念の際に、これまでロシアの一部だったクリミアが 「ウクライナに対するロシア人民の偉大な兄弟愛と信頼のさらなる証し」としてウクライナ共和国に移管される。)
 姉妹都市(1965年 横浜市とオデーサ市)、1971年 京都市とキーウ市)

■次に読みたい本
 『物語 バルト三国の歴史』、『物語 ポーランドの歴史』、『物語 フィンランドの歴史』、『物語 東ドイツの歴史』 (いずれも中公新書)

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