『ジヴェルニーの食卓』原田マハ〈第26回〉
原田マハ『ジヴェルニーの食卓』集英社、2015年
マティス、ドガ、セザンヌ、モネ
原田マハさんは、平凡な人に理解しつくせない「何かが違う」4人の芸術家を、その周りにいた人々の眼を通してこの本の中で描いている。近代美術を築き上げた「巨匠たち」の葛藤と作品への真摯な姿を描いた4つの物語。新しい美を求め、時代を切り拓いた芸術家の人生が、原田さんの美しい文章をとおして色鮮やかに蘇ってくる。
○「うつくしい墓」 召使の少女から見たマティス
もしもマティスが死んでしまったら、他の誰にも話せないことを胸の中にためこんでしまうことになる。
なんといっても、私には、マティスしかいないんだ。 — パブロ・ピカソ
〇「エトワール」 女性画家メアリー・カサットから見たドガ
踊れ 森の草原で 翼の生えた少女よ
踊るために生まれた子よ 愛せよ ただおどることだけを ― エドガー・ドガ
〇「タンギー爺さん」 タンギー爺さんの娘から見たセザンヌ
世紀末、この国の芸術を一変させる旋風が起きた。
タンギーの小さな店で。 — エミール・ベルナール
〇「ジヴェルニーの食卓」 モネの義理の娘ブランシュから見たモネ
私は有頂天だ。ジヴェルニーは、私にとって、輝くばかりにうつくしい国だ。 — クロード・モネ
本書の解説として、馬渕明子さんは次のように原田さんの作品を評している。
「原田マハが描いた人物像は、もちろん最終的にはフィクションである。しかしその中には歴史上の、美術史上の多くの人物が登場して物語にリアリティを与えている。(中略)原田マハの叙述は、美術史の問題を正確に踏まえている。細部の描写に破綻はない。そしていつの間にか読者を、今まで証明できなかった領域の問題、当人が頑なに語らなかった点に踏み込ませているのだ。」( 馬渕明子 国立西洋美術館長)
本書では、世界的に有名な画家たちの生き方や、芸術にかける想いがとても美しい文章で書かれている。フィクションだけど、マティス、ドガ、セザンヌ、モネらに関する知識を得ることができる。、馬渕さんの解説にもあるように、美術史の問題を正確に踏まえてくれているので、より物語の中に引き込まれていく。
知っている作品が出てくると、その作品を想いながら物語の中に入っていく事ができる。知らない作品が出てきたら、アンダーラインを引いて、後でその作品を調べて見る。
原田さんの作品は、まさに「読む美術館」といえる。原田さんの作品を読むごとに、美術に対する興味が深まっていくことに気付かされる。
■調べたいこと
マティス 「生きる喜び」
クロード・モネ 夏の風景「七面鳥」、「ダリア」、「モンジュロンの池」、『印象・日の出』
クロード・モネ オランジュリーの「睡蓮」の壁画
マティス、ドガ、セザンヌ、モネ、マネ、ルノワール、カイユボット、ピサロ、デュラン=リュエル
■本を読むことになったきっかけ
書店で原田マハさんの本を見つけた。装丁のモネの絵がとても綺麗で手に取って読んでみたくなった。
■本の中で気になった言葉
・「マティスがいて、ピカソと出会った。二十世紀の芸術は、かくも豊かな二つの果実を同時に手にする幸運を、私たちにもたらしたのです。」(うつくしい墓)
・「この世に生を受けたすべてのものが放つ喜びを愛する人間。それが、アンリ・マティスという芸術家なのです」(うつくしい墓)
・「これを、次の印象派展に?」ドガは黙ってうなずいた。「闘いなんだよ。私の。――そして、あの子の」(エトワール)
・「ポール・セザンヌは誰にも似ていない。ほんとうに特別なんです。いつか必ず、世間が彼に追いつく日がくる」(タンギー爺さん)
・「太陽が、この世界を照らし続ける限り。モネという画家は、描き続けるはずだ。呼吸し、命に満ちあふれる風景を」(ジヴェルニーの食卓)