乱読のセレンディピティ  外山滋比古 <第5回>

ブログを立ち上げるにあたり、外山滋比古さんの『乱読のセレンディピティ』を数年ぶりに読みなおしています。
外山さんの読書の仕方から日常の生活に至るまで、今の僕はこの本から多大な影響を受けました。

この本の最初のページは、「1 本はやらない」という「えっ!」と思うようなタイトルから始まっている。以下のタイトルを書き出すと以下のとおりです。

2 悪書が良書を駆逐する?
3読書百遍神話
4読むべし、読まれるべからず
5風のごとく
6乱読の意義
7セレンディピティ
8「修辞的残像」まで
9読者の存在
10エディターシップ
11母国語発見
12古典の誕生
13乱読の活力
14忘却の美学
15散歩開眼
16朝の思想

以上、タイトルを書き出したのには理由があります。
それは、どのタイトルを読んでみても、外山さんの経験と実践に満ち溢れた内容であり、読後の行動に多大なる影響を与える内容だからです。
僕はこの中の内容のいくつかを生活習慣の中に取り入れたいと真剣に思い、取り入れるために外山さんの「まね」をしています。(笑)

この本の中で印象に残っている面白い言葉があります。「知的メタボリック・シンドローム」と「散歩のような読み方」という言葉です。
「知的メタボリック・シンドローム」とは、「知識を取り込みすぎ、それを使うこともなく、あたまにためておくこと」だと外山氏は言われています。その対処法として外山氏は、「自然忘却の重要性」を解かれています。
「散歩のような読み方」では、「本を読むにも、散歩のような読み方をすれば、思いがけないことを発見できるのではないかと考えるようになった。乱読である。」と述べられています。

体も頭の中もメタボにならないために努力が必要な事を外山さんから教わりました。メタボの私が言うのもなんですが …。(笑)

【読んだ本】
外山滋比古『乱読のセレンディピティ』扶桑社、2014年


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