『たゆたえども沈まず』 原田マハ <第17回>

原田マハ『たゆたえども沈まず』
 幻冬舎文庫(は-5-2)、2020年、幻冬舎 (この作品は、2017年に 幻冬舎から刊行。)

「この本と旅をしました。そこには、会えるはずのないゴッホがいました。―北川景子」
これは、本の帯に描かれている文章です。

 北川さんが原田さんの小説『たゆたえども沈まず』を携え、オランダからフランスと、ゴッホが暮らした街でその軌跡を紹介する番組「日本に恋したゴッホ~北川景子が歩く天才画家の旅路~」(2019/10/12(土)BS日テレ) を見て僕はこの本を知りました。

 この番組を通じて、ゴッホの生涯に関心を持ち始めたちょうどその頃、神戸の兵庫県立美術館で「ゴッホ展」が開催され、各国の美術館が所蔵するゴッホの作品を観賞することができました。また、大阪の国立国際美術館でもロンドン・ナショナル・ギャラリー展が開催され、ゴッホの「ひまわり」を観賞することができました。

 展覧会の図録やゴッホの入門書を購入して、ゴッホの生涯やその作品について調べはじめてからおよそ半年余たったある日、また原田さんの本との出会いがありました。僕がこの本を手にして読むまでには、そんな経緯がありました。

 この小説の主要人物は、パリで画商を営む林忠正、その弟子にあたる架空の人物、加納重吉、画家ファン・ゴッホとその弟テオとなります。この小説では、ファン・ゴッホのパリ時代を中心に物語が展開していきます。
 ファン・ゴッホのアルル時代には多くの手紙が書かれていて、当時の日々の出来事が克明に伝わっています。しかし、パリ時代、ファン・ゴッホ兄弟は同居していてフィンセントがテオに手紙を書く必要がなかったため、さほど詳細な記録は残っていません。そこを原田さんはフィクションの世界の中で描かれています。

 物語は、「1886年 1月10日 パリ 10区 オートヴィル通り」から始まり、「1891年 5月中旬 パリ 9区ピガール通り」まで、4人の交流を通して物語が展開していきます。

 マロニエの緑陰が続く並木道、セーヌ川に浮かぶ小舟… 。北川さんが言うように、パリの情景を想像しながらゴッホの軌跡を訪ねる旅をしているような気分。フランス美術界においてジャポニスムの影響はすでに顕著であり、日本の浮世絵が印象派の画家たちやゴッホに多大な影響を与えていたことは、日本人としてとてもうれしく感じます。

 ゴッホの画家としての活動は、弟のテオの存在なくしてはあり得ません。兄の才能を信じて物心両面で励ますテオ。ゴッホの死後、テオは兄の後を追うようにその半年後に息を引き取ります。小説は、テオの妻ヨーが義兄の遺品を引き取るところで話が終わりますが、ゴッホを世界的な画家にしたのはこのヨーになります。値段のつかない、およそ200点もの義兄の作品を処分することなく、ふるさとのオランダに持ち帰ったヨーは、1892年、アムステルダムで小さいながらもゴッホの回顧展を開催するなど義兄の作品を紹介します。1914年には、およそ10年の歳月をかけて整理したテオ宛のゴッホの書簡を発表し、ゴッホの人生も知られるようになり、今日の名声を確立することになったそうです。

 小説は終わっても、その先にまで興味が掻き立てられ、ゴッホの作品からその制作された背景にまで関心が及ぶようになりました。

 小説の中にも登場する作品、「星月夜」、「郵便配達夫=ジョゼフ・ルーラン」、「ゴーギャンの椅子」、「ゴッホの椅子」、「夜のカフェテラス(フォーラム広場)」、「馬齢薯を食べる人びと」、「タンギー爺さん」etc。

 「たゆたえども沈まず」  原田さんのこの小説は、絵を描くことに没頭したゴッホの生涯を感じさせてくれる本です。

 

 「僕が平静と落ち着きとを取り戻すための唯一の方法は、もっとよい仕事をすることだけだ。」
  フィンセント・ファン・ゴッホ

※「たゆたえども沈まず」(Fluctuat nec mergitur) 

 この小説のタイトルは、16世紀から存在する、パリ市の紋章にある標語なんだそうです。帆いっぱいに風をはらんだ帆船とともに刻まれているラテン語は、「どんなに強い風が吹いても、揺れるだけで沈みはしない」ことを意味しています。
 もともとセーヌ川の水運の中心地だったパリで、水上商人組合の船乗りの言葉でしたが、やがて、セーヌ川の氾濫や戦乱、革命など歴史の荒波を生き抜いてきたパリ市民の象徴となっていった言葉で、強い決意のような響きを感じます。

【参考】
 展示図録『ゴッホ展』産経新聞社、2019年(上野の森美術館/兵庫県立美術館)
 展示図録『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』国立西洋美術館/読売新聞東京本社、2020年(国立西洋美術館/国立国際美術館)
 小林晶子監修『ゴッホへの招待』朝日新聞出版、2016年
 『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展 完全ガイドブック』朝日新聞出版、2020年
 


 

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